トルコショックは世界にコンテイジョン(伝染)するのか?過去の暴落の歴史を振り返る

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8月に起こったトルコショック。トルコリラの急落により世界のマーケットを大きく揺るがしました。実は1987年のブラックマンデー以降、世界経済は約10年起きに大きな金融危機が起こっています。前回のリーマンショックから10年、今回のトルコショックは過去の危機のようにさらに世界中にコンテイジョン(伝染)していくのか、それとも一過性なのか検証していきます。

トルコショックとは

 

2018年8月にトルコの通貨リラの急落に端を発した通貨危機をいいます。トルコ当局の米国人牧師拘束問題を巡る米・トルコの対立で、米国がトルコに対して経済制裁(追加関税等)を発動したことが原因で、リラの対ドル相場は10日に1ドル6.8リラ近辺まで下げ過去最安値を更新。前日比の下落率が一時2割近くにもなりました。

 

トルコのエルドアン大統領が金融政策に介入し、通貨防衛やインフレ鎮静に動きにくくしていることも影響しています。経常赤字国で対外債務にもろさを抱えていて、為替介入余力が乏しいことも通貨安加速の原因となっています。

 

他の新興国の通貨(アルゼンチンペソ、ブラジルレアル、南アフリカランド)も下げています。長く続いた世界的な金融緩和により、新興国の多くの債務が膨張しており、米国の利上げによって資金が流出しやすくなっていて、世界的に通貨危機が広がりやすくなっているのです。

 

マーケット関係者が危惧しているのは、さらに危機が幅広い市場に及ぶコンテイジョン(伝染)リスクです。

 

トルコとつながりが深い欧州の通貨や株式も下落しました。国際決済銀行(BIS)によると、欧州各国銀行のトルコ向け債権で最大なのはスペインで、3月末時点で809億ドル(9兆円弱)と全体の36%に及びます。そして、フランスが351億ドル、イタリアが185億ドルと続きます。米JPモルガンによると、トルコが海外から受け入れている直接投資の残高は今年5月末で1,400億ドル。昨年末時点では75%が欧州各国からの投資となっています。

日本でも政策金利が18%ほどあるトルコリラは高金利通貨として人気が高く、外国証拠金取引(FX)ではロスカット(損切り注文)で大きな損失を被った人が続出しました。また、トルコの債券や株式を組み入れた投資信託も大幅に値下がりし、前年末比の下落率が5割を超える投資信託もあり、日興リサーチセンターの調べでは前年末に4,146億円あった運用資産は8月15日時点で2,044億円と半減しています。

 

今回のトルコショックは新興国通貨安を招きましたが、トルコ固有の問題も多く一過性で終わるという見方もあります。NYダウなど米国株式市場は堅調な地合いを維持しています。ただし、これで危機が終わったと考えるのは早計でしょう。過去の危機を見ながら、今後トルコショックがどうなっていくかを考えてみます。

ブラックマンデー(1987年)とは

ブラックマンデーは、「暗黒の月曜日」とも呼ばれ、1987年10月19日(月)にニューヨーク証券取引所で起きた、史上最大規模の世界的株価大暴落のことをいいます。

この日、NYダウは終値が前週末より508ドルも下落し、この時の下落率は22.6%にもなり、世界恐慌を引き起こした1929年10月24日のブラックサーズデーの12.8%を上回りました。翌日のアジア市場にも連鎖。東京市場では日経平均株価は3836.48円安と下落率は14.9%となり戦後最大となりました。欧州の各市場でも売り注文が殺到し世界同時株安となりました。

 

日経平均株価下落率上位

 

出典 日経プロフィル

ブラックマンデー翌日の日経平均株価の下落率は現在でもトップとなっています。

 

ブラックマンデーの原因

 

1.米国の財政収支と貿易収支の赤字が拡大傾向にあったこと(双子の赤字)

 

2.1985年のプラザ合意が効果を発揮しドル安が進んだものの、インフレ懸念や景気後退の可能性がでてきたこと。

 

プラザ合意とは1985年9月に米貿易赤字の縮小を目的として過度なドル高の改善のためにニューヨークにあるプラザホテルで開かれた先進五か国(米・日・英・独・仏)の大蔵大臣と中央銀行総裁が集まった会議です。

 

3.コンピュータによるプログラム売買が損失を最小限にしようと自動的に注文をだすため、売り注文が重なったこと。

 

世界を揺るがしたブラックマンデーでしたが、当時のFRBグリーンスパン議長がFF金利を下げ、市場に大量の資金を供給し株価下落を食い止めました。日経平均株価は翌日2037.32円高(9.30%)の23947.40円となりました。当時の上昇幅で1位、上昇率で2位でした。金融緩和策を取っていた日本はその後も世界同時株安からいち早く抜け出し、バブル経済はさらなる膨張を続け、2年後(1989年)12月29日には史上最高値38,915.89円をつけることになるのです。

 

ブラックマンデーが起こったときのNYダウの安値は1612.21ドル。今では信じられませんが、当時のNYダウは日経平均株価の10分の1以下の水準でした。

 

また、日本のバブル崩壊後は世界市場で暴落が起こるとNY市場がいち早く回復し、日本はいつまでも低迷するという状態が当たり前になりましたが、当時は日本が世界経済を牽引していたのがわかります。

 

コンピュータによるプログラム売買の売り連鎖の再発防止策としてサーキットブレーカー制度が導入され、ダウ平均が10%、20%、30%下落した場合に、強制的に取引を一時停止することになりました。(現在はS&P500指数)

 

アジア通貨危機・ロシア危機(1997~1998年)とは

アジア通貨危機

アジア通貨危機は、1997年にタイを中心として、インドネシアや韓国などのアジア諸国に広がり、急激な通貨下落が起こった深刻な金融危機をいいます。1997年7月2日にヘッジファンドなどの投機的なバーツ売りの圧力に屈したタイが固定相場制を放棄し、これを契機にアジア諸国へ危機が飛び火し、通貨暴落が発生しました。特にタイ・インドネシア・韓国は経済に大きな打撃を受け、IMF(国際通貨基金)の管理下に入りました。

 

当時、アジアのほとんどの国は、米ドルと自国通貨の為替レートを固定する「ドルペッグ制」を採用していました。当時はドル安で、比較的通貨相場は安定していたものの、輸出主導で経済成長を続けていたアジア各国は慢性的な経常赤字が多かったのです。また金融の自由化がすすみ、海外から多額の資本が流入して不動産などに投資されていました。特にタイではバブル状態になっていました。そこに目をつけたヘッジファンドがアジアの経済状況と為替レートの評価にズレがあり、各国の通貨が過大に評価されていると考えました。そこで過大評価された通貨バーツに空売りを仕掛けたのです。

 

当初はバーツを買い支えていたタイ当局でしたが、巨大な資金を持つヘッジファンドの売りに耐え切れなくなり、変動相場制への移行を決めたのです。これは1992年にイギリスで起きたポンド危機と同じ構図です。

 

最終的には、IMF、世界銀行、アジア開発銀行などの国際機関の協調融資により終息に向かっていきました。アジア通貨危機を教訓に、ASEAN全諸国に日本・中国・韓国を加えた13ヶ国が参加したチェンマイ・イニシアティブが作られました。

 

 

チェンマイ・イニシアティブとは

為替相場の急激な変動を抑制し、為替・金融市場の安定を確保することを目的として設立された外貨を融通する為のシステムのことです。

 

1997年7月のタイ変動相場制移行から始まったアジア通貨危機は年末から年始にかけ終息を迎えますが、翌年にはロシアや中南米にも波及。アメリカ大手ヘッジファンドLTCM(ロング・ターム・キャピタル・マネジメント)が破綻するロシア危機が発生するのです。

ロシア危機

 

アジア通貨危機の余波で発生したロシアでの通貨ルーブル暴落や財政問題などの金融危機のことをいいます。ロシアの貿易は輸出の80%を天然資源に依存し、外部環境に大きく左右されやすいという特色があります。アジア通貨危機で世界景気は後退し、主要輸出品(石油・天然ガス・木材・金属)の価格下落による経済状況の悪化や、投資家の安全志向によるロシア株や債券から安全な米国債券などへの資金が移りました。ロシア財政は大きく悪化し、これを食い止めるために1998年8月17日、ルーブルの切り下げ及び対外債務支払い凍結(モラトリアム)を行いました。

ロシアは、アメリカや中国、日本やEUに比べて経済規模は小さいものの、世界有数の資源大国であることや、国連の常任理事国であること、軍事力を保有することからマーケットリスクだけでなく、地政学リスクにも気をつける必要があります。

 

ロシア通貨ルーブルは1ドル20ルーブル台へ50%もの下落を記録。この危機によりキャピタル・フライト(資本逃避。自国から海外にお金が一斉に逃げ出すこと)が生じ、資本はロシアから急速に流出しました。

 

この危機により、米大手ヘッジファンドのLTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)が破綻。デリバティブを駆使した運用スタイルで米国債売り・ロシア国債買いという裁定ポジションで大きな損失をだしました。LTCM破綻により、キャリートレードの巻き戻しが起こり、ドル円相場は2日間で14円以上もの円高に。FRBは1998年の9・10・11月と3ヶ月連続で利下げを行うとともに、ニューヨーク連邦準備銀行は大手銀行の幹部を集め資金を融通し、何とか金融不安の鎮静化を図りました。

 

キャリートレードとは

金利の低い通貨で資金調達して、金利の高い通貨で運用して利ザヤを稼ぐ手法です。特に円で資金調達をおこなう手法を円キャリートレードといいます。

 

危機後のロシアは、その後の原油価格の上昇などにより比較的順調に経済は回復していきました。

NYダウ

日経平均株価

ドル円

出典 日経スマートチャート

 

サブプライム住宅ローン危機・リーマンショック(2007年~2008年)とは

 

出典 東洋経済

 

サブプライム住宅ローン危機

サブプライムローン危機は、アメリカの住宅バブル崩壊による一連の世界的な金融・経済危機のことです。これは、2007年から2009年にかけて、主に住宅購入向けサブプライムローンの不良債権化とその証券化商品「サブプライム・モーゲージ」の価格暴落によって、世界の金融市場と経済を大きく混乱させる原因となりました。

米国では日本と異なり、住宅ローンの証券化が広く普及していました。サブプライムとは信用格付けが低い低所得者向けの住宅ローンのことです。2000年代前半のFRBによる金融緩和と低金利政策によって住宅建築・投資ブームが起こっていました。新築住宅が売れ残らないように、銀行は低所得者(通常は返済能力がない人)にもローンを組ませ低金利で貸し出していたのです。一定期間が過ぎると利率が上がる変動金利でしたが、利率が上がっても地価や住宅価格もあがるから大丈夫と考えられていました。しかし、2004年頃からFRBによる利上げと住宅価格の下落転換により、ローンを返済できなくなる人が急増し、ついには住宅バブルが崩壊。ただ、これだけなら米国国内の問題ですが、住宅供給を目的として設立された、連邦住宅抵当金庫(ファニー・メイ/Fannie Mae)や、連邦住宅金融抵当公庫(フレディ・マック/Freddie Mac)などが、モーゲージ・バンク(mortgage bank)からサブプライムローンの債権をまとめて購入して証券化し、MBS(Mortgage Backed Securities)という担保証券の中で比較的リスクの高いサブプライム・モーゲージ(subprime mortgage)として市場に供給していました。それらの大半を買い取ったウオール街の投資銀行は、欧米始め世界の金融機関や機関投資家に販売していたのです。

 

サブプライム問題は世界経済に大きな影響を与えました。2007年8月には欧州に危機が拡大し、仏BNPパリバがサブプライム証券化商品に投資した傘下のファンド資産を凍結。いわゆるパリバショックが起こり、世界の株式市場で株価が急落しました。為替市場でもクロス円が急落。この後の円高トレンドの始まりとなりました(1週間でドル円は約10円、ユーロ円は約15円も下落)。

リーマンショック

 

2008年9月15日に米国投資銀行(当時・全米第4位)であるリーマン・ブラザーズ(Lehman Brothers)が経営破綻したことにより、世界規模の金融危機が発生したことをいいます。

2007年のサブプライム問題で起こった米国住宅バブル崩壊は2008年になってさらに広範囲の資産価格の下落を招いていました。金融機関の中でも特に大きなリスクを取っていたリーマン・ブラザーズがチャプター11(米連邦破産法第11条)の適用を連邦裁判所に申請し、ついに破綻。負債総額約6,000億ドル(約64兆円)という史上最大の企業倒産により、世界連鎖的に危機が広がったのです。2008年3月のベアー・スターンズの経営危機には政府による救済があったので、より規模の大きいリーマン・ブラザーズが見捨てられるはずがないという見方がほとんどでした。しかし市場関係者の予想は裏切られ、世界的な株式の大暴落が起こったのです。日経平均株価も大暴落を起こし、9月12日(金曜日)の終値は12,214円だったが、10月28日には一時は6,000円台(6,994.90円)まで下落し、1982年(昭和57年)10月以来、26年ぶりの安値を記録しました。

日経平均株価下落率上位

 

出典 日経プロフィル

もう一度日経平均株価の歴代下落率10位を見てみると2008年10月が4回も入っています。

 

NYダウ

 

 

日経平均株価

 

 

ドル円

出典  日経スマートチャート 

過去の危機とトルコショックとの比較

FF金利とは

米国の短期金利の代表的な指標で、連邦準備制度に加盟している民間銀行が、準備預金の過不足を調整するために、無担保で相互に貸し借りする際に適用される金利です。連邦公開市場委員会(FOMC)の会合で連邦準備銀行の準備金の需給を調整し、FFレートの誘導目標を決めることで、金融政策の決定をしています。

FF金利推移(月次1985年~)

出典 FRB

 

 

今回のトルコショック。米国とトルコの対立が直接の引き金となりましたが、もともとは米国の金利上昇により、投資マネーが新興国から引き上げられているのが原因と言われています。過去の暴落と米国金利動向を調べてみました。

FF金利比較

ブラックマンデー 1987年10月 7.29%

アジア通貨危機 1997年7月 5.52%

ロシア危機 1998年8月 5.55%

パリバショック 2007年8月 5.02%

リーマンショック 2008年9月 1.81%

1987年のブラックマンデーは金利低下から金利上昇局面に変わったばかりの時期であったものの、1997年のアジア通貨危機や2007年のパリバショックの時期は明らかに金利引き締め局面で起こったことがわかります。このことから、ブラックマンデー以降、米金利上昇局面で世界的な暴落が発生しているといえます。

 

そして7月~10月にかけて危機が発生していることがわかります。トルコショックが発生したのも8月。このまま世界的な金融危機に発展するかどうかわかりませんが、2000年以降、日経平均株価の騰落率を見ると7~9月はマイナスになっています。季節的な要因にも注意が必要です。

出典 日本経済新聞

まとめ

 

1987年のブラックマンデー以降、約10年起きに起こっている金融危機、世界的株式暴落についてみてきました。起こった背景は違うものの、発生時期や米金利上昇局面など似ている部分もあります。このまま欧州や米国に危機が広がるかどうかはわからないものの、秋相場は「魔物がすむ」といわれています。10月頃までは警戒を怠れないでしょう。ただ、来年にかけて米国で利上げ打ち止め観測がでてくれば、新興市場からの資金流出懸念は徐々に収まってくる可能性があります。やはり米国の金融政策の動向が一番注目されるでしょう。

 

 

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