【株式投資情報】出光と昭和シェル統合。今後の株価の展望を徹底検証!

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石油大手の出光興産昭和シェルは、約3年間に及ぶ協議の上ようやく統合を決意したと7月10に公式発表しました。最初に統合の話がメディアにて報道されたのは2015年7月のことです。

公式発表されてからというもの、この発表を待ち望んでいた投資家たちによって、両社の株価は一気に跳ね上がりました。そんな情勢をみるにつけ、何がそこまで投資家たちの期待を呼び起こしたのかと、疑問に思っている人もいることでしょう。

株式投資をするにあたって、私達の生活に必要不可欠であるガソリン関連株は好まれる選択肢の1つです。また車に乗ろうと乗るまいと、出光のことも昭和シェルのことも知らない人はほとんどいないと思います。

今回は誰でも知っている、出光と昭和シェルの統合について詳しく解説しながら、今後の株価の展望を徹底的に検証していきたいと思います。

出光と昭和シェル統合

2018年7月10日の公式発表では、2019年4月に出光が昭和シェルを完全子会社化する決意を表明しました。

出光興産の月岡隆会長と昭和シェルの亀岡社長は握手を交わし、今後、需要縮小が予想される石油事業にどう手を打っていくのかを模索していく計画です。

以前から検討されていたこの統合は、両者の統合に対する見解のすれ違いにより、一時は完全に却下されていくとも言われていました。今回の発表により、出光の株価は3,700円前後から現在5,000円前後を推移、昭和シェルは1,550円から1,850円にまで上昇を見せる結果となっています。

株価参照/日経新聞   出光:参考URL  昭和シェル:参考URL

原油価格の上昇も追い風になり、両社の統合に投資家たちの抑えきれない程の熱い期待が集まっているのです。

実は以前には10社以上もあった石油会社は、現在では大手4つの企業に統合されています。現在、国内シェアの大半をこの4つの石油会社が占めているのですが、どんな企業があるのか改めてご紹介しておきましょう。

現在の石油会社は

出光興産(5019)参考URL

原油・石油製品の輸入、精製、輸送および貯蔵・販売を行う。事業の78%が石油関連。その他、ガス、電力、化学、化成品、原料樹脂、工業用潤滑油など取り扱う。

国内シェア2位、創業以来、唯一何処にも属さない独立型を守ってきた企業。独自のルートによる原油の輸入や企業信念が特色。

 

JXエネルギー(5020)参考URL

国内シェア1位、約50%を占める。石油の精製および石油製品の製造、加工、販売、原油・石油製品の貯蔵や輸送を行う。石炭、LPガス、発電事業、電力、LNGガスなども取り扱う。その他、非鉄金属、土木、不動産も手掛ける。

日本石油、東燃ゼネラル、エッソ、モービルなどかつての石油会社10社が統合に統合を重ねてJXが誕生。

昭和シェル(5002)参考URL

国内シェア3位。事業の約94%が石油事業。揮発油、ナフサ、灯油、軽油、LPガス、アスファルト、化成品、石油製品等の製造・販売を行う。その他太陽光発電モジュールの製造、販売、電力供給事業に加え、不動産、建設、自動車用品の販売など。

1980年代に昭和石油とシェル石油が統合。ダッチシェル、ロイヤルシェル、サウジアラムコなど外資大手と提携。

コスモエネルギー(5021)参考URL

事業の82%が石油関連で、原油・石油の輸出入、石油精製、潤滑油製造、原油・石油製品の貯蔵、荷役、運送など行う。石油開発、生産にも取り組む。その他、不動産、各種工事、保険、リース、風力発電事業など。

1986年に大鉱石油と丸菱石油が統合し、コスモ石油を設立。

・・・と以上のように、現在は4社の石油会社があるのですが、その中でも出光は単独で国内シェア2位という実績を築いている特殊な存在であったのです。そのような位置にある出光が、ようやく昭和シェルとの統合を決意したということは、国内の経済史という視点で見ても軽視できない出来事となるのです。

この両社の統合がなぜ、そこまで投資家たちを騒がせるのかこれから解説していくために、まずは、簡単に両社の歴史、事業の在り方を個別に述べていきたいと思います。

出光の歴史(概要)

出光興産は1911年6月、出光商会として北九州の貿易港、門司にて石油販売業として始まりました。当時はまだ石炭が主要エネルギーでありましたが、創業者である出光佐三(いでみつ さぞう)は、自動車やその他輸送機器に対する需要を先見の明で確信していたとのことです。

当時は工業用の潤滑油として炭鉱や工場、漁船燃料として販路を広げる中、石油市場の現状は各地域で縄張りが決まっていました。そんな中、佐三氏は「町中では縄張りがあるだろうが、海の上では自由だ」と異論を唱え、独自に海上での取引を拡大させていくという神出鬼没な存在でした。

その後、良質な石油精製の技術開拓をしながら、満州(現在の中国東北部)、朝鮮、台湾、華北・華南、上海へと、販路を拡大し続けていきます。

佐三氏が成功した、経営手法とは消費者がより安い値段でより質の高い石油を入手できることであり、そのために当時は一般的であった販売組織の何処にも属さずに、独自の輸入・販売ルートを開拓していったところにあります。

1940年 出光興産設立

佐三氏は海外業務に力を入れていき、1939年に中華出光興産株式会社、満州出光株式会社、そして1940年に東京本社、出光興産株式会社を設立します。

従業員は皆家族だという意識をもち、互いに尊重し合う人間関係、「人間尊重」をモットーとしながら大家族「出光興産」を育て上げていきます。

1945年には敗戦、出光はこれまでの事業の多くを失ってしまったにもかかわらず、誰1人として免職にすることなく、従業員全員で会社を再建していきます。1946年には海軍の船底にたまった大量の油カスを集めて利益へとつなげていくのです。

その成果もあり、1947年には石油販売業者としての力を取り戻し、1950年代には国内の主要の貿易港に事業所を竣工していきます。

1953年 海賊と呼ばれた出光佐三

出典:出光興産 公式HP       参考URL:日章丸

そして、1953年には出光佐三の地位を完全無敵の強者として確立すべく出来事が起こります。

それは、世界的にも驚異的なニュースとして報道された日昇丸事件です。

日昇丸事件

1950年代の国内の石油産業は、アメリカ・イギリスとの提携により経営が成り立っている状態の中、あえて出光は自社の独立スタイルを貫き通していました。

その結果、出光は他社とは隔離された孤立無援の状態で、経営困難に陥りました。そんな中、打開策として考えられたのが、同様に孤立無援の状態にいたイランとの石油の取引でした。

イランは当時イギリスの支配下からちょうど独立をしようとしている時で、イギリスからの圧力で財政困難な状況にありました。そこに出光は目をつけ、イギリスとの対立は避けられないと承知の上で世界で初めてイランに直接交渉を試み、大量の石油を積み込んで帰港したのです。

そんな出光佐三の姿は、英雄的行為として世界中で賞賛されました。自らの思うままに戦略を練り、母船タンカー日章丸を操作する佐三氏は、「一匹オオカミ、無法者、海賊」などの異名で石油業界において確固たる地位を築いていくのです。

※詳しくはYou-Tube、ドキュメンタリー「海賊と呼ばれた男」

その後、国内外にてその規模を着実に拡大しながら、「世界の出光」の道を歩みはじめます。

1980年代以降

1981年3月7日、海賊と呼ばれた男、出光佐三は95歳で天寿を全うしました。

2006年 東京証券取引市場 1部に株式上場。

。2011年 出光創業100年を迎える。

佐三氏なき後も、「人間尊重」「独立体制」の理念は代々受け継がれていき、出光が単独で国内シェア2位を維持してきた原動力ともなっているのです。

そして・・・

石油を基板としたエネルギーの時代は変容を見せ始める中、今後の石油・ガソリンの需要は縮小されることが予想され、石油産業はこれから厳しい時代へと突入していくことが予想されています。

その解決策として、

2015年 昭和シェルと統合に向けて協議が始まったのです。そして3年後の

2018年7月 翌年2月より昭和シェルと統合開始と発表されたのでした。

と、現在の出光と昭和シェルに至るわけです。では、次に、このような歴史を持つ出光が統合をようやく決意した昭和シェルはどのような企業なのかを見ていきたいと思います。

昭和シェルの歴史(概要)

長年に渡る独立経営で、合併とは無縁だった出光興産とは異なり、昭和シェルの歴史は他社との合併、協力体制によって成り立っているといえます。

1900年前後

1876年、昭和シェルの末裔である、貿易業のサミュエル商会(ロンドン)のマーカス・サミュエルが横浜にて事業を開始。

1900年サミュエル商会が石油部門を独立させ、ライジングサン株式会社を設立。

1903年マーカス・サミュエル、ロスチャイルド、デターディング、3者の統合により、アジア圏にて石油販売会社アジアチック・ペトロリアム社を設立します。

ここで、統合した3者について詳しく述べておきたいと思います。

マーカス・サミュエル

イギリスのユダヤ人。高校卒業後に極東行きの船に乗り、横浜に到着したのが1871年。父親の行う貿易商に役に立つ商品を見つけることが目的だった少年は、横浜の海岸で貝殻の美しさの虜になりました。

集めた貝殻を父親に送ると、その貝殻を使った工芸品がロンドンで飛ぶように売れたとのことです。それがきっかけで、横浜のサミュエル商会はやがて石油・石炭などと商売の幅を広げていきました。このことから、昭和シェルのシンボルとして貝殻マークが使われるようになったのです。

ロスチャイルド

1880年代のヨーロッパの石油市場のうち、20%~30%をロシアの石油が占めていました。ロシアではすでにノーベル家が油田を所有していましたが、そこで、ノーベル家に対抗すべきかのごとく現れたのがフランスのアルフォンソ・ロスチャイルドでした。

ロスチャイルドは、ロシア政府の公債を引き受けた恩賞として、いくつか油田を購入し、ロシアにて石油貿易業にに取りかかろうとしていたところでした。

ヨーロッパでの石油販売を円滑に進めるため、まずはイギリスに販売会社を設立します。
そこで、新たなパートナーとして出会ったのが、マーカス・サミュエルだったのです。

 

デターディング

ヘンリー・ウィルヘルム・オーガストデターディングは、オランダ生まれのイギリス実業家。「石油界のナポレオン」とも呼ばれ、国際石油トラストの創始者。1880年代に東南アジアの石油事業に携わっていました。

その後、1900年にロイヤル・ダッチ・ペトロリアム(オランダの大手石油企業)社長として就任したのが35歳の時です。

当時、デターディングの率いるロイヤルダッチは、石油貿易市場の大半を占有していたロックフェラーのスタンダードオイルに対抗するための道を探していました。

そんな中、ロスチャイルドとマーカス・サミュエルという協力者を得たわけです。

このように、ちょうど次の一手を模索していた3人がちょうど巡り会って、力を合わせることで、競合に勝ち抜いていく道を見いだしていくのです。

この経営手法がシェルの基盤となっていきます。

出典:Royal Dutch/Shell  公式HP

1907年にロイヤル・ダッチとサミュエルのシェル・トランスポートがさらに合併することになり、今や世界でもトップにランクインしているロイヤル・ダッチ・シェル・グループが誕生しました。

1950年以降

やがて、国内では出光興産が先駆けとなった中東原油の取引が軌道にのり始め、世界的な規模でも自動車の普及とともに石油産業のきたるべき繁忙期に向けて着々と準備されていきます。

このような背景のもと昭和石油とシェルグループは資本提携を進めていき、

1985年に完全な合併が実施され、現在の昭和シェル石油が生まれました。

2000年以降

高度経済成長期に変革が訪れ、新しい時代に向けて新たな対応が石油業者に求められはじめます。

石油精製品、軽油・ディーゼルなどの多様化、自然エネルギー、燃料電池、EVと新しいエネルギーの開発投資、精製技術の向上、輸送業務の協業化、簡潔化。

合併や提携を繰り返しつつ、ここで昭和シェルは、今後も持続可能な成長に向けて、第2のスタートを切り始めるのです。

その1つが、2015に始まり約3年の月日を要した、出光興産との統合になるのです。

2社それぞれの思惑は

ようやく実現が具体化してきたこの2社の統合に対して、出光も昭和シェルも双方それぞれの思惑がありました。

当初、創業者である出光佐三の属する出光家(主要株主でもある)からの反対の声が大きく、出光の歴史を見る限り、それも納得がいきます。

対等な立場で、と前提にされた外資系との合併は佐三氏自身の背中を実際に見てきた出光家にしてみれば、なかば出光の理念そのものに反すると危惧されていたのです。

しかし、大手石油メジャーの一環である昭和シェルにしてみれば、対等な立場で双方にメリットのある合併をと望むのは、大手外資系のプライドにかけて当然であります。

統合によってメリットとデメリットが生じてしまうことは避けられません。双方の思惑の違いから、両社は結論が出せないまま時間が過ぎていきます。

そこで、2017年に統合に統合を重ねてきた競合相手JXエネルギーが国内シェアの50%以上を獲得したことが、双方に妥協という選択肢を与える結果となりました。

出光家の妥協→昭和シェルを子会社化とすることで、出光の理念がある程度守っていけるのではないか。あくまでも、出光が昭和シェルを買収したというイメージに近くなる。
昭和シェルの妥協→統合社名は「出光興産」になるが、運営上は「出光昭和シェル」というブランド名が使われる。「対等な立場」でなくなる可能性はあるがブランド名は確実に継承されていく。

EVと将来の展望

というように、互いに実績があり歴史があるからこそ、順調に統合の話も進まなかったわけですが、ここで実際に、この2社の統合によって、将来どのような事業が展開されていくのかを検証してみたいと思います。

出光の強み

サウジアラビアを主軸とする中東との堅い結束がある→サウジアラビアは今後の原油需要の低下に備えて、2030年を目標に主力産業として太陽高発電の開発を計画しています。

サウジアラビアの砂漠では、世界中の電力を数ヶ月で回収できるといわれる豊富な日光があります。発電技術や電池技術の進展に応じて、国内でも出光を介して充実したEV設備用の電力の補給が期待できます。

昭和シェルの強み

太陽光発電モジュールの開発を1990年代から進めている→電力小売り事業だけでなく、電機設備の開発にも力を入れており、ソーラーフロンティアという自社メーカーを有しています。

さらには、出光の管轄以外のヨーロッパに強固なネットワークがあり、ヨーロッパでのEV設備の展開にも一役かうことが期待できます。

両社の強み

出光は日野自動車ダカールラリー、ホンダのモータサイクルレースのスポンサー。昭和シェルは60年以上に渡りF-1レース、フェラーリのスポンサー。

両社はともに二輪、自動車、モータースポーツと密接な関係にあります。車のメカニカルな技術にも長けていることから他社よりも有利なEV設備技術の提案、広告、企画、宣伝を行うことができます。

出典:昭和シェル 公式HP   参考URL  F-1 ハンガリー戦

今後の値動き予想

2019年3月29日に、昭和シェルは株式上場廃止となり、出光の株として換算されていくことになります。この2社が統合することによって、これまで国内売り上げ高の約半分を占めていたJXエネルギーの約7兆250億円に近づき、約5兆7,700億円になるだろうといわれています。

出典:東洋経済

その他残りの14%をコスモ石油が占めており、今後さらに出光と昭和シェルがコスモ石油を巻き込んでいく可能性もあるとの声も聞かれているのです。

そうなれば、国内シェアの10%以下を中堅・ローカルの石油会社が占め、残りの約90%をJXエネルギーと出光昭和シェルの2社が分割していくことになります。

仮に、その話がただの噂に終わったとしても、出光と昭和シェルの統合だけでも充分に、JXエネルギーとほぼ対等の力を得ることができると言えるほど、強力な統合となり得ることは間違えありません。

もし、仮に出光昭和シェルがガソリンだけでなく、電力・電池と電機大手と本格的に手を組んでいくと考えれば、最強のネットワークを世界的な規模で実現していくことが予想できます。

現在、双方とも株価は高値圏にありますが、そのような視点で考えれば、今、この価格は近い将来安値圏だと言えるくらいに飛躍していく可能性は高いでしょう。

ただ、原油という存在に市場は過剰に反応してしまう傾向もあるため、原油価格の変動とともに多少波のある株価で動いていくだろうと思います。

まとめ

もう、今となっては出光佐三にしても、マーカス・サミュエルにしてもこの世にはいない過去の人達です。しかし、奇想天外な発想と絶え間ない努力によって築きあげた企業の理念は、代々受け継がれて出光も昭和シェルもここまで巨大な企業となり得ました。

おそらく、簡単に転職できる現代の私達には、理解できないほど高尚な不屈の精神がそこには存在するに違いありません。

現在、企業に残る人たちが事あるごとに、もし、創業者がここにいたらどうするだろうか、と自分自身に問いかけてきたであろうことは、想像に難くないことです。そして、今回、出光も昭和シェルもようやく、創業者もきっと同じ道を選んだに違いないという結論に至ったのでしょう。

今後、両社が展開していく新しい道を、期待を込めてしっかりと見届けていきたいものです。

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